2005 07 / 13

ボンネットバス

 先日、娘を連れて「小樽交通記念館」(小樽市手宮)に行った。
学芸員の方が案内してくれた先に、お目当てのバスはひっそりと佇んでいた。

 空知管内。平成元年まで夫の実家はで小さな炭鉱を経営していた。 時代は、国の第八次石炭政策の真只中。物珍しさもあってか、「全国最小のミニ炭鉱」として新聞やメディアにも取り上げられ、 さながら生きた博物館といったところだろうか。 大手さえつぶれていくなか、存続するのは難しい時代だった。 当時の通産局からは「道楽」で炭鉱を続けているとさえ思われていた。

 「従業員を食べさせて行かなければならない。道楽でやっていけるはずが無い」と会社の経理を預かる父は言う。
「みんなで一生懸命力を合わせ、上下の差なくやること」
「現場で一人一人に気を配り努力に報いてやること」
自ら坑内に入りヤマの男と一緒に汗する社長である祖父の炭鉱哲学だ。

 このボンネットバス、そんな炭鉱の鉱員輸送に使っていた。 山の終焉を予測するかのように故障して動かなくなったバスだったが、JRバスに買い取られ、「フロンティア号」として新札幌駅と開拓の村の間を走り始めるという幸せな結末を迎えた。 現在はその役目も終わり、小樽交通記念館に展示されている。

 開鉱から閉山までの31年、幾度となく襲ってきた石炭不況を乗り切る「原動力」とは一体何だったのだろうか? その軌跡を知る者達は残念ながらもうこの世にはいない。

 自分自身、仕事も(育児も?)思うようにいかない事の方が多いなか、 「働きがい」とか「やりがい」をどこにみいだすか日々模索である。 ただ、どんな苦境にあっても祖父のようにいつも明るく前向きでありたいと思う。 自分が悲劇のヒロインだと思った瞬間、それは会社員として敗北を意味するような気がするのだ。

 この国は確実に「自己責任の時代」へと向かっている。 仕事人間とか会社人間とかけち臭いことではなく、楽しく仕事ができるかどうかは、 自分の考え方一つではないだろうか。

 ボンネットバスを眺めながら、そんな祖父や父のポリシーに想いを馳せてみた。

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